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事の始まりは [闘病記]

事の始まりは、一昨年(2010)の10月末頃でした。

そして現在、電撃性髄膜炎の結果、両足下腿切断、右目弱視、右耳最重度難聴、上肢運動障害、記憶障害、原発性免疫不全症候群にてボチボチやっております。割りと元気に(笑)。

ということでこんにちは。端折り過ぎですね(笑)。
そうそう、事の始まりでしたね。

一昨年の10月末に風邪っぽい症状で体調を崩しました。丁度その頃に連打で明け方まで飲み歩く用事も重なっていたので、そのせいで体調を崩したものと思ってました。何の疑いも無く。
多少の熱が有ったので、市販薬の解熱剤でしのいでおりました。少しの咳も有りました。

段々熱も下がらなくなって来ましたので、自宅近所の町医者的な小さな医院に行きまして、点滴を受けて自宅へ戻りました。熱の出具合から、その時期流行してましたインフルエンザであろうとの診断でした。症状も咳と熱でした。
それが10月の30日の事でした。

明けて31日午前(土)。
午前中に当番病院にて点滴受け、炎症反応の高さからインフルエンザでは無いとの診断でした。
その時は、熱も普通の風邪の範疇と、ほか主立った症状は咳。ただ頭痛がそこそこ。

更に31日午後(夕方)。
高熱が更に進み、頭が割れる様な頭痛。
午後からの別の当番病院へ向かい点滴。えらい高さの炎症反応から腎盂炎ではないかとの診断。点滴中に全身に青タンが出来まくり、結果当医院では対応不可との事で紹介状を書いて頂き、月曜日(!?)に行く様にとの指示を頂き帰宅。月曜って(笑)アンタ、あいだ一日置くのね(鬼!)とは思ったがそのまま帰宅。

同日19時〜(22:00&24:00に電話)。
帰宅後みるみる悪化の一途。熱はとうとう42℃、頭痛はもうコレ『脳ミソ出てない!?』って位の前人未到的新感覚&新食感。その紹介された病院に電話するも、やれ『空きベッドが無い』だの『担当医が不在』だの『研修医しか居ない』だの『月曜になれば退院でベッドが空くかも知らん』だの...。業を煮やしたカミサンが『そんな長々電話に出れるなら先生が診て下さい、お願いします!』と語気荒く。『無理むりむり!』返す刀で『俺、守衛だから!』...。


助かるのか!オレ!?



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