続-事の始まりは [闘病記]
助かるのか!オレ!?
まぁ、助かったからコレ書いてるんですけども。
日付は明けて11月の1日。
前日の夕方に紹介された病院に何度か電話するも、守衛のオジサンから先に話しが進まず垨が明かないまま、容態は更に悪化。自力でトイレに行こうと立ち上がるも四方八方にふらつきまくり、しまいにはへたり込んで『何処もみ〜んなおんなじ』などと謎言を吐き捨て卒倒する始末。
同日午前3時55分
とうとう救急車にて某総合病院へ搬送。当然ICU。
体温42℃、顔中青タン内出血の電撃性紫斑。色々な薬を試すも効果ナシ。
血液検査の結果、驚く様なCRP値で、担当してくれた医師達も『こんな数値はちょっと経験がない...。』と。『そもそもこんな数値で生きているのが不思議だ。』と、まだ生きている僕に(笑)。
この時点での診断は劇症肝炎と腎不全。だが、色々な薬を試すが効果が出ないため、髄液を調べた結果髄膜炎であることが判明。
合併症として劇症肝炎、腎不全、電撃性紫斑、敗血症を起こしているため電撃型髄膜炎との診断に変わる事となりました。即座に頭部CTとなり、脳圧上昇のための脳浮腫も判明。点滴はメロペンとバンコマイシンに変えられました。透析も引き続き行われましたが、体温の上昇が著しいため途中の管を氷で冷やして体内に戻す方法で。
この時点で病院に到着してから1時間ほど。
医師からは『全身状態が非常に悪いため2時間くらいが峠です。覚悟はしておいて下さい...。』との衝撃的発言が。
乗り越えられんのか!オレ!?
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まぁ、助かったからコレ書いてるんですけども。
日付は明けて11月の1日。
前日の夕方に紹介された病院に何度か電話するも、守衛のオジサンから先に話しが進まず垨が明かないまま、容態は更に悪化。自力でトイレに行こうと立ち上がるも四方八方にふらつきまくり、しまいにはへたり込んで『何処もみ〜んなおんなじ』などと謎言を吐き捨て卒倒する始末。
同日午前3時55分
とうとう救急車にて某総合病院へ搬送。当然ICU。
体温42℃、顔中青タン内出血の電撃性紫斑。色々な薬を試すも効果ナシ。
血液検査の結果、驚く様なCRP値で、担当してくれた医師達も『こんな数値はちょっと経験がない...。』と。『そもそもこんな数値で生きているのが不思議だ。』と、まだ生きている僕に(笑)。
この時点での診断は劇症肝炎と腎不全。だが、色々な薬を試すが効果が出ないため、髄液を調べた結果髄膜炎であることが判明。
合併症として劇症肝炎、腎不全、電撃性紫斑、敗血症を起こしているため電撃型髄膜炎との診断に変わる事となりました。即座に頭部CTとなり、脳圧上昇のための脳浮腫も判明。点滴はメロペンとバンコマイシンに変えられました。透析も引き続き行われましたが、体温の上昇が著しいため途中の管を氷で冷やして体内に戻す方法で。
この時点で病院に到着してから1時間ほど。
医師からは『全身状態が非常に悪いため2時間くらいが峠です。覚悟はしておいて下さい...。』との衝撃的発言が。
乗り越えられんのか!オレ!?
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事の始まりは [闘病記]
事の始まりは、一昨年(2010)の10月末頃でした。
そして現在、電撃性髄膜炎の結果、両足下腿切断、右目弱視、右耳最重度難聴、上肢運動障害、記憶障害、原発性免疫不全症候群にてボチボチやっております。割りと元気に(笑)。
ということでこんにちは。端折り過ぎですね(笑)。
そうそう、事の始まりでしたね。
一昨年の10月末に風邪っぽい症状で体調を崩しました。丁度その頃に連打で明け方まで飲み歩く用事も重なっていたので、そのせいで体調を崩したものと思ってました。何の疑いも無く。
多少の熱が有ったので、市販薬の解熱剤でしのいでおりました。少しの咳も有りました。
段々熱も下がらなくなって来ましたので、自宅近所の町医者的な小さな医院に行きまして、点滴を受けて自宅へ戻りました。熱の出具合から、その時期流行してましたインフルエンザであろうとの診断でした。症状も咳と熱でした。
それが10月の30日の事でした。
明けて31日午前(土)。
午前中に当番病院にて点滴受け、炎症反応の高さからインフルエンザでは無いとの診断でした。
その時は、熱も普通の風邪の範疇と、ほか主立った症状は咳。ただ頭痛がそこそこ。
更に31日午後(夕方)。
高熱が更に進み、頭が割れる様な頭痛。
午後からの別の当番病院へ向かい点滴。えらい高さの炎症反応から腎盂炎ではないかとの診断。点滴中に全身に青タンが出来まくり、結果当医院では対応不可との事で紹介状を書いて頂き、月曜日(!?)に行く様にとの指示を頂き帰宅。月曜って(笑)アンタ、あいだ一日置くのね(鬼!)とは思ったがそのまま帰宅。
同日19時〜(22:00&24:00に電話)。
帰宅後みるみる悪化の一途。熱はとうとう42℃、頭痛はもうコレ『脳ミソ出てない!?』って位の前人未到的新感覚&新食感。その紹介された病院に電話するも、やれ『空きベッドが無い』だの『担当医が不在』だの『研修医しか居ない』だの『月曜になれば退院でベッドが空くかも知らん』だの...。業を煮やしたカミサンが『そんな長々電話に出れるなら先生が診て下さい、お願いします!』と語気荒く。『無理むりむり!』返す刀で『俺、守衛だから!』...。
助かるのか!オレ!?
そして現在、電撃性髄膜炎の結果、両足下腿切断、右目弱視、右耳最重度難聴、上肢運動障害、記憶障害、原発性免疫不全症候群にてボチボチやっております。割りと元気に(笑)。
ということでこんにちは。端折り過ぎですね(笑)。
そうそう、事の始まりでしたね。
一昨年の10月末に風邪っぽい症状で体調を崩しました。丁度その頃に連打で明け方まで飲み歩く用事も重なっていたので、そのせいで体調を崩したものと思ってました。何の疑いも無く。
多少の熱が有ったので、市販薬の解熱剤でしのいでおりました。少しの咳も有りました。
段々熱も下がらなくなって来ましたので、自宅近所の町医者的な小さな医院に行きまして、点滴を受けて自宅へ戻りました。熱の出具合から、その時期流行してましたインフルエンザであろうとの診断でした。症状も咳と熱でした。
それが10月の30日の事でした。
明けて31日午前(土)。
午前中に当番病院にて点滴受け、炎症反応の高さからインフルエンザでは無いとの診断でした。
その時は、熱も普通の風邪の範疇と、ほか主立った症状は咳。ただ頭痛がそこそこ。
更に31日午後(夕方)。
高熱が更に進み、頭が割れる様な頭痛。
午後からの別の当番病院へ向かい点滴。えらい高さの炎症反応から腎盂炎ではないかとの診断。点滴中に全身に青タンが出来まくり、結果当医院では対応不可との事で紹介状を書いて頂き、月曜日(!?)に行く様にとの指示を頂き帰宅。月曜って(笑)アンタ、あいだ一日置くのね(鬼!)とは思ったがそのまま帰宅。
同日19時〜(22:00&24:00に電話)。
帰宅後みるみる悪化の一途。熱はとうとう42℃、頭痛はもうコレ『脳ミソ出てない!?』って位の前人未到的新感覚&新食感。その紹介された病院に電話するも、やれ『空きベッドが無い』だの『担当医が不在』だの『研修医しか居ない』だの『月曜になれば退院でベッドが空くかも知らん』だの...。業を煮やしたカミサンが『そんな長々電話に出れるなら先生が診て下さい、お願いします!』と語気荒く。『無理むりむり!』返す刀で『俺、守衛だから!』...。
助かるのか!オレ!?