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身体障害者入門-3 [闘病記]

ナミダ晴れる日は来るのか!?オレ!?

そもそもすぐ泣きますからね、オレなんか(笑)。ただでさえそうなのに、CT撮ったら脳梗塞の跡が何カ所も有りましてね。おそらくナミダ中枢(そんなの有るか知らんけどw)がイカれてしまって涙ダダ漏れになってたんでしょうなぁ(笑)、あんなCD聴いて涙するっちゅ〜コトは。

今思えばウチのバンドのCDなんかじゃなくて、石川遼君でお馴染みのスピードラーニングのCDでもヘビロテしてもらってたら....。
ベラベラですよ、今頃は。このブログだって英語で書いてますよ、メェ〜ン?
だって聴くだけでOKなんでしょ!? CMの別バージョンでけっこうなオッチャンとかオバチャンが『ある日突に然英語が解る様になってたんですぅ!ただ毎日聴いてただけなんですぅ!』とか言ってるでしょ!? 僕の場合は文字通り死ぬ程(笑)時間が有って、一日中聴きまくれた訳で。

スピードラーニング聴いてたらなぁ〜...
今頃洋画とか字幕ナシで見れてたなぁ〜...
大好きな『大草原の小さな家』吹き替えナシで見てもっと号泣できるのになぁ...。


CA3C0546.jpgこの時期の僕は、起きていられる時間が少しずつ長くなり、ベッドの上で上半身を起こしたり出来る様にもなりました(当然背もたれアシスト必須)。
看護婦さんや先生達にも色々話しかけるのですが、なにせ声が一切出ませんからクチパクにも程がありまして、B級アイドル顔負けのクチパクでいきますが八割りがた伝わりません(笑)。


それじゃ〜ってんで、紙とペンで筆談。

どうしてなんでしょうね、アレは。記憶障害だからなのか分からないですが、頭の中に言いたい事のイメージは確実に存在しているのですが、『あれ... なんて言うんだっけ...あれ...』となりまして、言葉が思い出せないんですよ。CA3C0395.jpg難しい言葉なんかじゃ無いですよ? それこそ『おはよう』とか『ありがとう』とか『うれしい』とかホントそんな次元の言葉が出て来ない。かりに『うれしい』だったとしても、『う、れ、......れ、ってどやって書くんだっけ....。』一事が万事、全てにおいてこんな調子なもんだから、看護婦さんも待ってられないんですよね、ICUなんて特にバタバタしてるし。
そんで結局しびれ切らして『ゆっくり書いておいてね〜。あとでまた来ますからね〜』って。

どうせ来ないクセにぃ...(笑)

看護婦さんの『あとでまた来ますから』くらいアテにならんモノはナイッ!
5分あとなのか、10分あとなのか。はたまた1時間あとなのか、数時間あとなのか。まさかと思うが後日なのか。不思議と僕はその『まさか』に何度も遭遇。


ホントにつながってんの!?ナースコール!?


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身体障害者入門-2 [闘病記]

これからどうなんの!?オレ!?

結局なる様にしかならんのだけども(笑)。

いくら意識が戻って、起きてられる時間が増えたとは言っても、おそらくは一日でトータル小一時間も有ったのかな...。
 起きている間は筆談で、言葉が出て来ないっちゃ〜落ち込んで、書いた字が下手過ぎるっちゃ〜落ち込んで、ペンがまともに持てないっちゃ〜落ち込んで、しまいにゃ書いた字が汚過ぎて読めんと来た日にゃ〜...。もうね、落ち込み過ぎて3階に入院してたはずなのに気付いたら1階の植物園でバナナの木に登ってたもね(笑)。ウソだけど。バナナ勝手に取って喰ってたもね。これは後にホントになるけど。

CA3C0394.jpgそんな頃、病室に唯一持ち込みが許可されたボロいCDラジカセでヘビロテされてたCDが有りまして。ヘビロテもなにもCDはそれ1枚しか無かったんだけど。とにかく朝から晩まで一日中ループ再生。これぞヘビロテ。まさにヘビロテ。AKB48のヘビーローテーションよりもヘビロテ。そりゃ〜ねぇ、看護婦さんも口ずさむっちゅ〜の(笑)。
 
それがですねぇ、どんな曲かと言うと、どれもこれもど〜でもいい様なコトをよくもまぁって感じの歌詞でしてね(笑)。
毒にも薬にもならんてぇ〜のは、まさにこのコトで。こんなにもクダらん歌詞をよくまぁ次々思いつきますね〜って感じで。サウンドは普通のドコにでも有るシンプルなロックで、特筆する様な売りも無く(笑)。ハイパーテクニカルスピード超絶ツインギターとか一切無縁。むしろ真逆でアンチハイパーノンテクニカル超スロー悶絶ツインギター。
そんなアホなバンドのCDヘビロテして涙していた僕は、きっとかなり脳に障害が出てたんでしょうなぁ(笑)。

僕のバンドなんですけどね(笑)

歌ってるコトがアホ過ぎて涙ナシには聞けません...
毎日採血採血でイタ過ぎて涙ナシでは居られません...
看護婦さんが点滴をハズしまくるので涙ナシでは語れません...
ヒゲ面で髪ボサボサの腕には注射痕だらけ。こんなんで職質されたらと思うと涙ナシでは...

ナミダ晴れる日はくるのか!?オレ!?

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身体障害者入門-1 [闘病記]

足、無いんじゃないの!?オレ!?

はい、バッサリと綺麗サッパリ無くなってましたね〜両足。それはもう清々しいまでに(笑)。

目覚めてから数日後、だいぶ意識もしっかりしてきて、起きている時間も増えました。
まだ自分が置かれている現状を把握していない僕は、きっと交通事故か何かで入院しているんだろうなと。少しだけ動く手で足に触れると、両足は包帯でグルグル巻きに。何となく足が短い気もするし。きっと事故で足を怪我したんだなと。色々不思議に思う事を質問したいのですが、いかんせん声が全くもって出ません。

意識が無い間、人工呼吸器のお世話になっていた僕は、のど元(ノド仏のチョイ下くらい)に穴を空けてそこから管を入れて機械に繋がれていたらしいのですが、呼吸器を外した後も『カニューレ』とやら呼ばれる聞き慣れない高級デザートみたいな名前の器具が、喉元にずっと刺さったままになっていて、吸うのも吐くのもその器具の穴からというシステムになっておりました。そのために呼気が全く口を通らないのでヒソヒソ話すら出来ず、ただただ口をパクパクさせるだけで、相手には全く何も伝わらないジレンマに相当ストレスが溜まっておりました。

必至に奥さんに『オレの足はどうしたの?』とクチをパクパクさせて何度も何度も問いかけるも伝わらず、やっと伝わったかと思えば『あぁ分かったッ!タマゴボーロねっ!?』と....。何が悲しくて今このタイミングでタマゴボーロを....。伝わらな過ぎにもホドが有るっ!
本気で離婚を考えた瞬間でした(笑)。

筆談という手段を忘れていた事に気づき、看護婦さんに紙とペンを借りて再度タマゴボーロの真意を伝えるべく。
結果、僕は交通事故でもタマゴボーロでもなく病気で入院した事、足が包帯でグルグル巻きになっているのは事故の怪我でもタマゴボーロでもなく切断である事、タマゴボーロを幾ら食べても足は生えて来ない事、等が筆談で分かった。

足が無くなってしまった事に関しては、自分でも驚く程冷静に受け止めてました。
『へぇ〜そうなんだぁ』くらいで。それを知らされた時点で、もう気持ちは義足の方に向いてました。どうやって義足でアノお気に入りの川へ行って釣りをするか、義足でも履けるウエーダーは有るのか、義足でも重いギターを持ってステージに立てるのか、義足で波乗り出来る手段は有るのか、義足でも子供らと一緒に大好きな富良野の野山を駆け回る事が出来るのか、僕の意識はすでに病床には有りませんでした。

とは言うものの、現実は全身色んな線だらけ。上半身を起こすどころか頭を起こす首の筋力すら無い状態...。筆談するも幼稚園児の娘より下手な字、しかも全てひらがな。ペンもちゃんと持てずに始終ポロポロ落とす始末。書きたい言葉も出て来ない...。障害者もラクじゃ無いなぁ...。
CA3C0542.jpg


これからどうなんの!?オレ!?


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新.事の始まりは-4 [闘病記]

目覚めるのか!?オレ!?

三途の川での毎日は、それはそれは夢の様で、そのままずっと此処に居たいと思わせる凄く魅惑的な日々でした。天気も毎日良いし、熱くも無く寒くも無く。どんだけ遊んでも心地良い疲労感。
でも、ふと思ったんですよ帰らなくてはと。

なんとなく遠くで『おとうさん!?』って何度も呼ぶ声が聞こえて目を覚ますと、奥さんが横に居ました。
『お父さん、分かる?』の問いかけに僅かに頷く事しか出来なかったけど、ただただ『良かった...。』と繰り返し、涙している奥さんを見て『何で泣いてんだろ...?』と不思議に思う自分が居ました。

体中に色々な線やら管やらが繋がっていて、僕の周りには白衣を着た人達がズラッと居て覗き込む様に。
その光景に『あぁ...、なんか大変なコトになったのかな...?』と他人事の様に。
聞きたい事が一杯有ったけれど、何故だか声も出ないし言葉も全然浮かばない。
体のどこにも全く力が入らず、自分の身体なのに借りて来た人形の体みたいで。
周りに居る人達のザワザワした話し声や、廊下を足早に歩く音、色々なモニター類の電子音、どれもこれも日常に有りふれた音なのに、不思議とどれもこれも新鮮に聞こえ、久々に音のある世界に戻って来た感じがしました。

長い長い眠りから覚め数日経った頃、僕は自分の足の異変に気づくのでした。

足、無いんじゃないの!?オレ!?


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新.事の始まりは-3 [闘病記]

目覚めんのか!?オレ!?

手術室から出て来た時は目を開けて、全身痙攣させながらのヘラヘラ薄笑いだったものの、入院直後からの昏睡状態を含めて2ヶ月弱も意識不明だったので、今回は目覚めない事にします(笑)

何にでも『中だるみ』って有るじゃないですか。
『ウチのダンナ、悪い人じゃ無いんだけどぉ〜、出会った時の様なトキメキってゆ〜の?それが最近全然無いのよねぇ〜...』とか、『ウチのヤツ、メシも美味いし家の事もキチンとやってくれてて言う事無いんだけどよぉ...』とか。はい、思い当たる人手を挙げて。

今回はその『中だるみ』の回ですから(笑)、ゆる〜い感じで。いや、言ってしまえば全部ゆるい感じですけど。

僕が意識の無い約2ヶ月の間、一日も休まず面会に通ってくれた奥さん。来る日も来る日も変化無し。
あとから当時の担当医師に話しを聞きましたが、医師達も『あぁ〜残念だけどコレは駄目だな〜』と思ってた様で。『もって年内だろうな〜』と。『人工呼吸器外したら終了だな〜』と。

んで、当の本人は何をしてたかと言うとですね、俗に言う『三途の川』で遊んでたんですね〜(笑)
あくまでも、今思えばですけどね。

僕の場合の三途の川は、おそらく最下流部の河口付近。そこで何をしてたかと言うと、毎日毎日釣りと波乗りをしてたんですね。今でもその夢はハッキリ覚えているんですが、何故だか僕は『松方弘樹世界を釣る』的な白いクルーザーに独り乗りまして、ライギョ釣りをしているんですね。カンカン照りの中で。それはもうランカークラスが夢の様にガバガバ釣れるんですよ。フロッグなんか何付けてもアタック有りまくり。散々ライギョを釣り倒した後は、今度は波乗りにクルーザーで移動です。

まぁ、それが夢のおかしい所でも在るんですが、ライギョのポイントから幾らも行かないウチに、波乗りのポイントに到着するんです。そこには夢の様なパーフェクト面ツル頭半くらいのマシンウェーブがビシビシ入ってるんですよ、まるで夢の様に。しかも貸し切りで。
散々良い波乗り倒して今日は疲れたな〜でボートで寝るんです。朝起きるとまた良い波が入ってて。そんでまたライギョ。めっちゃ釣れるし。それが毎日毎日、来る日も来る日も。一日も雨降らなかったし。それはそれは、もう夢の様な話しで(笑)
そしてある時に『こんなにオレばっかり楽しくて良いんだろか?いいかげんにそろそろ帰らないとカミサンに怒られちゃうな〜。』と、夢の中で思うわけですよ。

僕が思うに、おそらくですよ?そのままクルーザーに乗って釣り三昧波乗り三昧で遊びほうけてたら、今こうやってブログなんぞを書いてはいないだろうなと。『お父さんは魚釣りとサーフィン好きだったもね〜。』と仏壇に線香あげられてたんだろな〜と(笑)。『お父さんはバンドばっかりやってて全然遊んでくれなかったもね〜。』と言われてマッチレスもマーシャルもフェンダーもギブソンも全部売り払われてたんだろな〜と(笑)。それこそ近所のハードオフ辺りに。

いやぁ〜、あの時帰ろうと思って良かったぁ〜(笑)。アレが三途の川だったに違いない。


次回こそ目覚めるのか!?オレ!?

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新.事の始まりは-2 [闘病記]

うっそぉ〜ん!?来るのかオカン!?

2010年11月16日
手術は10時頃に始まりました。手術が始まる直前に透析の機械が外されいざ手術室へ。
手術は5時間程で終わりました。
5〜6人がゾロゾロと手術室から出て来ました。その内、執刀医と思われる人が2人。
その1人が『手術は無事終わりました。足には感染症も診られず、義足が履ける様にしました。』と。

あとは無事に意識が戻るかどうか...。

奥さんの話しによると、手術室から出て来た時点で目は開いていて、全身を痙攣させながらヘラヘラ笑っていたそうで(笑)

そうそう、オカンは来ませんでしたね〜(笑)
放蕩息子の生死よりも、そりゃぁ〜自分の歯の方が大切ですからね(笑)

僕もオカンの死に際には歯医者に行こうと思います、はい。
その後、僕は一ヶ月以上意識不明の状態でした。

目覚めんのか!?オレ!?


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新.事の始まりは-1 [闘病記]

泣いちゃうのかオレ!?

いやいや泣いてませんよ、ホンの少しだけちょっと一瞬号泣しかけただけです。

入院4日目頃から両足の指に水ぶくれが出来ました。次の日には足の甲から足首くらいにまで広がっていました。日に日に広がって行くのと同時に、足の小指から次々に変色して行き、一週間程で小指はシボんでナスビみたいな色に変色してしまいました。

壊疽でした。腎不全が原因との事で、処置としては壊死した部分を切断するしかないと。ただ、腎不全と敗血症、麻酔が出来ません。

壊死した部分は1日に7〜8センチほど進み、最初は小指、次の日には足の甲の中程まで、その次の日には踝くらいに。ほんとみるみるうちに足がナスビ色...。
丁度そのころ、長女に特例でICUへの入室が許可されました。おそらくお父さんはもう長くは無い、生きてるウチにお父さんに会っておいでという医師達のイキな計らいでした。

両足の切断はもはや避けられない状態となり、あとはどの位置で切断するのかが問題になりました。
断端は長ければ長い程、義足を付けて歩ける可能性は高くなる。膝関節が有るのと無いのでは雲泥の差。ウチの奥さんはこれらの情報を元に医師達に掛け合ってくれました。とにかく膝関節を残せるうちに。

手術が早ければ早い程、足は長く残せる。しかし現状は腎不全に敗血症、とても手術が出来る状態ではありませんでした。でも足の壊死は日に日に進みます。
そんな折りに医師達に決断をさせてくれたのが長女(当時5歳)の一言でした。
『お父さんと一緒に歩きたい...。』

その数日後、急遽切断の手術が行われる事になりました。
手術の前日に医師から電話が有り、腎不全に敗血症に高熱ととにかく全身状態が非常に悪く、透析がギリギリ中断出来る程度の状態での手術である事、本来であれば全身麻酔出来る状態ではない事、これ以上待つと足が無くなってしまうため、半ば強行での手術である事、そのため麻酔事故の確率が普通の手術よりも格段に高い事などが告げられました。

奥さんはそれらの話しを聞かされて、僕の実家のオカンに電話をしました。
コレこれシカじかで明日手術を受けますと。全身状態からいって最期になる可能性も十分あり得る危険な手術になるので、明日来て頂けますかと。

ウチのオカンは『あらぁ.......。 そぉなのぉ.....。』と、さすがに語気弱く...。
しかし『でも、あした歯医者なんだよね〜』と...。

うっそぉ〜ん!?来るのかオカン!?


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続々-事の始まりは [闘病記]

乗り越えられんのか!オレ!?

ICUに搬送されてから約1時間。病名も判明し、その時点で出来得る処置は全て施しあとは本人の生命力に賭けるしか無いと。ただ、全身状態が余りに酷く、薬が効き始めるまで体がもつかどうか...。ここ2時間が勝負だと。

乗り越えましたけどね。

明けて翌日、友人が親族と偽って(笑)ガラス越しに面会に。『アイツは絶対に死なない...。』と虚言癖の彼(笑)。まぁ、今回はホントでしたけどね(笑)。

更に明けて翌々日、ホントの親族が最期を見届ける予定で来てくれましたが願い叶わず...(笑)。
この日から、自発呼吸が無くなったため人口呼吸器装着。その際に医師から脳死状態になるであろう事、また仮に助かったとしても植物状態になるであろう事が宣告されました。

僕は、病院に搬送された直後から意識不明になり、その後約1ヶ月半昏睡状態が続きました。

今回ブログを書き始めるにあたって、あらためて事の始まりや顛末をカミサンに突撃取材(笑)させて頂きました。意識が無い間の事なので、初めて知る事柄ばかりでしたし、今だから笑って話せるのであろう事もたくさん。
もし立場が逆であったなら、ここまで気丈にしていられただろうか?脳死宣告までされながら、絶対に意識が戻ると頑に信じ続ける事が出来ただろうか?本当に色々と考えさせられたと共に、深い感謝の念。
有難くてありがたくて涙で前が....。

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続-事の始まりは [闘病記]

助かるのか!オレ!?


まぁ、助かったからコレ書いてるんですけども。

日付は明けて11月の1日。
前日の夕方に紹介された病院に何度か電話するも、守衛のオジサンから先に話しが進まず垨が明かないまま、容態は更に悪化。自力でトイレに行こうと立ち上がるも四方八方にふらつきまくり、しまいにはへたり込んで『何処もみ〜んなおんなじ』などと謎言を吐き捨て卒倒する始末。

同日午前3時55分
とうとう救急車にて某総合病院へ搬送。当然ICU。
体温42℃、顔中青タン内出血の電撃性紫斑。色々な薬を試すも効果ナシ。
血液検査の結果、驚く様なCRP値で、担当してくれた医師達も『こんな数値はちょっと経験がない...。』と。『そもそもこんな数値で生きているのが不思議だ。』と、まだ生きている僕に(笑)。
この時点での診断は劇症肝炎と腎不全。だが、色々な薬を試すが効果が出ないため、髄液を調べた結果髄膜炎であることが判明。

合併症として劇症肝炎、腎不全、電撃性紫斑、敗血症を起こしているため電撃型髄膜炎との診断に変わる事となりました。即座に頭部CTとなり、脳圧上昇のための脳浮腫も判明。点滴はメロペンとバンコマイシンに変えられました。透析も引き続き行われましたが、体温の上昇が著しいため途中の管を氷で冷やして体内に戻す方法で。

この時点で病院に到着してから1時間ほど。
医師からは『全身状態が非常に悪いため2時間くらいが峠です。覚悟はしておいて下さい...。』との衝撃的発言が。

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事の始まりは [闘病記]

事の始まりは、一昨年(2010)の10月末頃でした。

そして現在、電撃性髄膜炎の結果、両足下腿切断、右目弱視、右耳最重度難聴、上肢運動障害、記憶障害、原発性免疫不全症候群にてボチボチやっております。割りと元気に(笑)。

ということでこんにちは。端折り過ぎですね(笑)。
そうそう、事の始まりでしたね。

一昨年の10月末に風邪っぽい症状で体調を崩しました。丁度その頃に連打で明け方まで飲み歩く用事も重なっていたので、そのせいで体調を崩したものと思ってました。何の疑いも無く。
多少の熱が有ったので、市販薬の解熱剤でしのいでおりました。少しの咳も有りました。

段々熱も下がらなくなって来ましたので、自宅近所の町医者的な小さな医院に行きまして、点滴を受けて自宅へ戻りました。熱の出具合から、その時期流行してましたインフルエンザであろうとの診断でした。症状も咳と熱でした。
それが10月の30日の事でした。

明けて31日午前(土)。
午前中に当番病院にて点滴受け、炎症反応の高さからインフルエンザでは無いとの診断でした。
その時は、熱も普通の風邪の範疇と、ほか主立った症状は咳。ただ頭痛がそこそこ。

更に31日午後(夕方)。
高熱が更に進み、頭が割れる様な頭痛。
午後からの別の当番病院へ向かい点滴。えらい高さの炎症反応から腎盂炎ではないかとの診断。点滴中に全身に青タンが出来まくり、結果当医院では対応不可との事で紹介状を書いて頂き、月曜日(!?)に行く様にとの指示を頂き帰宅。月曜って(笑)アンタ、あいだ一日置くのね(鬼!)とは思ったがそのまま帰宅。

同日19時〜(22:00&24:00に電話)。
帰宅後みるみる悪化の一途。熱はとうとう42℃、頭痛はもうコレ『脳ミソ出てない!?』って位の前人未到的新感覚&新食感。その紹介された病院に電話するも、やれ『空きベッドが無い』だの『担当医が不在』だの『研修医しか居ない』だの『月曜になれば退院でベッドが空くかも知らん』だの...。業を煮やしたカミサンが『そんな長々電話に出れるなら先生が診て下さい、お願いします!』と語気荒く。『無理むりむり!』返す刀で『俺、守衛だから!』...。


助かるのか!オレ!?



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